2006年10月12日

日本ハム おめでと~ そして、Aくんの話

と、一応 隠れ日本ハムファンとしては25年ぶりのパリーグ優勝を喜んでいる次第です。

さて、そんな25年前といえば高校一年 この夏にはビーパルが創刊したり、世の中アウトドアが流行り始めの頃で、入学した高校の地学部でキャンプ活動を覚えて、楽しくてしょうがない頃だった。

中学から、同じ高校に進んだのは3人だけだったが、そのうちのAと入学後に入部した地学部でまた顔を会わす事になるとは思いもしなかった。
 中学時代にそれほど仲良くしていたという理由でもないし、Aが地学が好きだったと言う事も知るよしもなかった。

地学部天文班と地学部地質班と班は分かれたモノの、総勢20数人の地学部、合宿は合同で行うので、天文班も鍾乳洞にもぐるケービングをおこなうし、地質班もペルセウス流星群の時期には入笠山で流星雨を数えたりした。

そんな、二つの班の基盤となっているのが、キャンプ活動であり、つらい登山はしないけど、テントを張ってワイワイしたいという(車があればオートキャンプだが、当時は電車徒歩だった)思惑が一致して、自分とAと同じ地質班のDの3人をメインに後輩を従えて合宿以外でも部のテントを持ち出しては奥多摩や秩父の山で何もしない、ただのキャンプを楽しんだ。

高校を卒業してからも自前のキャンプ用具を買い揃え、何度かこのメンバーでキャンプをしたが、だんだん疎遠になり、自分はオートバイツーリングでのキャンプにのめり込んで彼等も就職後に九州へ転勤したりで、年賀状だけのつきあいとなっていった。

AもDも結婚して、佐賀と福岡と場所はちがえども同じ九州で楽しくやって居るんだろうなぁと思っていたのだが、数年後Dが転勤で東京へ

 年賀状だけのつきあいは続いていたが、Aは一度、転居報告が来て、その数年後に送った年賀状が宛先不明で帰ってくるようになってしまった、翌年もう一度同じ住所に年賀状を出してみたが、やはり宛先不明
これで年賀状でつながっていた細い縁も切れてしまったなぁと、結婚したてだったママに「こーゆーの寂しいけど、仕方ないねぇ」と話したのを覚えている。

その後もDからは毎年子供の成長と人数の増える(^^; 年賀状が届き続けていた、お互いそれだけのつきあいになってしまっている事に寂しさを覚えつつも日々の暮らしの中で年末年始の一時だけが相手の事を思い出すただ一度の機会になっていた。


昨日の夜、中学の親友のTから突然の電話があった、家の近いTの母親がスーパーで偶然Aの母親と会い、立ち話の中で、7月にAが死んだと


 続きは明日か?


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